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【レイカーズ】コービーブライアントの経歴や活躍、突然の死

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17歳でアメリカのプロバスケットボールNBA入りを果たし在籍したロサンゼルス・レイカーズを5度のNBAチャンピオンに導いたスーパースター

様々なNBA記録を打ち立てNBA新時代を築き上げたコービー・ブライアントについて解説していきます。

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プロフィール

身長 198cm
体重 97kg
ポジション SG(シューティングガード)
愛称 ブラックマンバ
背番号 8・24(06-07シーズン以降)

17歳でNBA入りから20年間ロサンゼルス・レイカーズ一筋でキャリアを過ごし、NBAチャンピオン5回、シーズンMVP1回、ファイナルMVP2回、NBA記録となる18年連続オールスターゲーム選出並びに、

歴代最多のオールスターMVP4回、NBA歴代2位の1試合81得点の記録を持つなど、キャリア初期から引退まで最高で最強の選手としてNBAを代表するスーパースターです。

打ち立てた記録はどれも伝説級の活躍で特に勝負所に強く、狙った獲物は99.9%の確率で仕留めると言われている世界で最も危険な猛毒蛇の「ブラックマンバ」の愛称で呼ばれていました。

デビュー当初からポジションやプレースタイルなどが似ていたことから、バスケットボールの神様と呼ばれたマイケル・ジョーダンと比較されることも多い選手でした。

名前の由来

父親は元NBA選手のジョー・ブライアントで、彼の名前コービーは、父ジョーのお気に入りだったアメリカの鉄板焼きレストラン

「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と食事に行き、そこで名前の由来を店主に聞きました。

そのKOBE(神戸)から取ったKobe(コービー)と名付けたそうです。2001年からは神戸大使にも任命され2011年まで続けました。



マイケルジョーダンとの比較

プレースタイルやポジションから比較される事も多かった選手マイケル・ジョーダン。

実際コービー自身も幼少期から一番マネをして参考にした選手だと語っています。

NBA入団後も実際に試合を重ねながら多くのアドバイスを求めたと言います。

兄のように慕いコービーの多くの活躍は「すべて彼に教わったことだ。俺が5回の優勝を達成できたのは、優れたアドバイスで導いてくれたからだ」と語っています。

またマイケルも「彼のことを理解するにつれて、私は彼にとって最高の兄のような存在になりたいと思ったんだ。コービーは自分の末弟のような存在だった」とまで語っています。

レイカーズ三連覇時代へ

なかなか優勝に手が届かないレイカーズは新シーズン開幕を前にチーム改革に、過去にマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを2度の三連覇に導いたフィル・ジャクソンのヘッドコーチ就任されました。

そこで、リーグ最強センターと言われていた216cm、147kgのシャキール・オニールと力を合わせて平均22.5得点6.3リバウンド4.9アシストを記録し1999-00シーズン悲願の初優勝をはたします。

2000-01シーズンでは平均28.5得点をあげるなど絶好調でファイナルではフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対決し、4勝1敗で降して連覇をしました。

2001-02シーズンも平均25.2得点5.5アシストを記録し、ファイナルはニュージャージー・ネッツを4戦全勝という最高の形でついに三連覇を達成しました。

当時23歳だったコービーは、3回の優勝を経験した史上最も若い選手となりました。

その後2009、2010年にも優勝し5度のNBAチャンピオンに輝きました。オリンピックでは、2008、2012年に金メダルを獲得しています。

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NBA歴代2位1試合81得点

2006年1月23日のトロント・ラプターズ戦で、コービーは1試合における得点として、NBA歴代2位という超人的な記録をたたき出しました。

何と1人で81得点をあげる大活躍を果たしたのです。高確率でシュートを決め続け122-104で勝利へと導き彼が残した多くの活躍の中で最も印象に残る活躍の一つになりました。

また、引退試合では1人で60得点をあげる大活躍をし最後の最後までファンを魅了するプレーをし続けました。そうして最高の自身のキャリアを最高の形で終えることにまります。

事故による突然の死去

2020年1月26日コービーと次女ジアナら9人が乗ったヘリコプターが墜落し、コービーを含む搭乗していた全員が死亡しました。

コービーは41歳、次女ジアナは13歳でした。多くの人々に衝撃を与えた突然の死にNBAでは多くの追悼セレモニーが行われたり、

各メディアの多くの人が追悼コメントを発表し彼の死を哀しみました。



まとめ

スーパースターの突然の死は世界全土に衝撃を与えました。

しかし、彼が残してきた多くの記録は人々の記憶の中に輝き続けます。

現在活躍をしている選手のなかにも彼を参考にしている選手は多くいます。

彼の残した伝説は今後未来へと語り継がれ今後も多くの人に愛されて続ける選手の1人になるでしょう。