ソフトボール日本代表のピッチャーで、2008年北京オリンピックの時に2日間3試合、
413球をひとりで投げ抜き日本を世界一にもたらした上野由岐子選手。
現在37歳で今の現役で活躍を続ける大エースについて解説していきます。
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プロフィール
身長 174cm
出身地 福岡県
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
ニッネーム うえぴー
上野選手は小学校3年生からソフトボールを始め、ピッチャーとして活躍しました。
小学校で県大会優勝、中学校で全国制覇を成し遂げます。
さらに高校2年の時最年少で参加した1999年世界ジュニア選手権でエースとして優勝を果たすという幼少期からすごい経歴の持ち主です。
当時の球速は高校生の時に107キロで、日本人最速を記録しました。
そこから実業団入りと同時に新人王、代表チーム招集とまさにエリート街道を突っ走っていきます。
世界との壁
オリンピック1996年アトランタ大会から三大会連覇の王者アメリカの強さは圧倒的なものでした。
一方日本代表は、アトランタ1996では4位、以降は銀メダル、銅メダルとなかなか目標である金メダルに届きません。
しかし2008年北京大会を最後にソフトボールがオリンピック種目から外れることが決定し、日本は「最後の金メダル」を賭け、オリンピックにおいて無傷の22連勝中だった絶対王者アメリカを相手に決勝の舞台にたちます。
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名将宇津木監督の存在
悲願の日本金メダルの立役者として、宇津木監督の存在が大きいのではないでしょうか。
日本に金メダルをもたらすべくためには絶対的なピッチャーが必要だと考え上野選手を世界一のピッチャーに育てることを決意します。
なんとそこから宇津木監督は上野選手を連れて敵地アメリカへと乗り込みます。
前々からアメリカ選手の右バッター内角に食い込んでくるシュート系のボールが有効なのではないかと考えていました。
上野選手もそれに応えるように努力を重ね、当時ソフトボール界では珍しかったシュートを会得します。
しかし北京オリンピックまでは隠しておこうとその他の試合、国際大会、練習でも一度もシュートを投げることはありませんでした。
のちにこのシュートが日本を大きく勝利に近づけることになります。
伝説の三連戦三連投
2008年北京オリンピックで上野は選手は、準決勝のアメリカ戦で延長9回タイブレークの末に惜敗すると、同じ日の夕方、決勝進出決定戦(対オーストラリア)にも登板。
またも延長に入り、双方譲らず12回までタイブレークの続く厳しい試合を投げ抜きました。
延長12回裏、ついに日本がサヨナラ勝ちを収め、決勝進出を決めるまで、上野選手は実に171球、昼間のアメリカ戦で投げた147試合と合わせてこの日318球を投げていたため誰もが次の登板は厳しいと考えていました。
しかし決勝戦、対アメリカ戦の先発マウンドに上がったのは、またしても日本のエース上野選手だったのです。
決勝戦では隠し球のシュートを駆使してアメリカ打線を抑えていきます。
上野選手の気迫に触発され、上野選手をなんとか盛り立てようという日本代表ナインの思いが、3回、4回と連続で1点ずつを追加し、試合を優位に展開することができました。
4回裏にはアメリカに1点を許したものの、7回にも1点追加するとそのまま逃げ切り、ついに日本はオリンピックの舞台で頂点に立ちました。
女子の球技でオリンピックの金メダルを獲得したのは、1976年モントリオールオリンピックで女子バレーボール日本代表以来の快挙だったのです。
まとめ
上野選手のすごさは球速、コントロール、テクニックと全てを取っても超一流ですが、やはり精神力の強いが三連投を可能にしたり、強豪アメリカに勝利する鍵になったと思います。
その精神力があるからこそ37歳になった現在もなお現役を続けていられるのだと思います。
日本ソフトボール界を長年牽引してきた、大スター選手だけに今後の動向や、引退後の経路等気になる部分は多いですが、今は1日でも1試合でも多く上野選手の活躍を見ていたいですね。